寒い
身もココロも寒い。
季節が冬に向かっているので、気温が低いのは仕方がない。
長袖のじじシャツとパッチを装着すれば、寒さはしのげる。
しかし、ココロの寒さはどうすればいいのだろう。
簡単なことだ。
ココロに太陽を登らせればいい。
日陰は、寒いだろうが、陽の光を浴びられるところへ出ていけば、温かいだろう。
太陽は、どこから登るのだ。
誠実
先日、卒業式を終えた4年生が来校した。
その日は、授業のない日で、午前中職員会議をしていた。
その間、彼は、自分たちのホームルーム教室の黒板を掃除していたのだ。
卒業式前日、在校生が先輩への思いを黒板に書くことが恒例になっている。
彼は、その黒板が消されずにそのままになっていることが気になって仕方なかったという。
だから、彼は来たのだ。
黒板を消すためだけに。
事前に、担任からそのことは聞いていた。
在学中から、真面目で、寡黙で、しかしみんなに愛される、そんな存在感を持っていた。
だから、「ああ、彼らしいな」と思っていた。
職員会議も終わり、昼食の時間になった頃、彼は職員室に現れた。
そして、モゾモゾしている。
担任が、助け舟を出した。
なんと、彼は、教職員全員に手紙を書いたという。
それも、授業をした教員だけでなく、副校長から非常勤の事務職員にまで、全員にである。
彼は、決して文章が得意な生徒ではなかった。
それが、一人に便箋2枚ずつ、きちんと封筒に入れてである。
彼は、私たちに大切なことを教えてくれた。
それは、「誠実に生きること」
定年退職する最後の月に、私は、「宝物」をもらった。
選択
「生きていくことは、選択の連続である」
使い古された、聞き飽きた言い方。
ただし、これは正しい。
いつも、「選択」しながら生きている。
選択しているつもりが、選択されていることもしばしば。
ただし、これには気づいていないことが、多い。
今日の、私の選択は、どれほどの確率で正しかったのか。
今日、選択された私は、どれほどの確率で納得できるのか。
同窓会
先日、小学校の同窓会があった。
当時は、2クラスの小さな学校だった。
その2クラスの担任の先生が米寿を迎えられ、教え子の私たちも還暦を迎えた。
その両方を祝う意味での同窓会だった。
最初に、はがきでその案内をもらったとき、少し迷い、出席の返事をした。
段々と日が近づくにつれ、不安になってきた。
私は、当時の同級生を覚えているだろうか。
当時の同級生は、私を覚えているだろうか。
意を決して、欠席の連絡を入れた。
なにか、ホッとした。
還暦を迎えて、私が心に期することは、「断捨離」である。
モノやコト、そしてヒト。
それらを、捨てて切って断って離れていきたい。
いわば、心地よいモノだけに囲まれて余生を送りたいと考えているのだ。
だから、数年前から年賀状は誰にも出していない。
同窓会から数日後、封書が送られてきた。
会の幹事からだ。
中には、当日の進行表、名簿、そして記念写真。
名簿を見ても、ほとんどの同級生の顔は、浮かんでこない。
写真を見ても、ほとんど、誰が誰だか分からない。
私は、やっぱり、ホッとした。
行かなくてよかった。
年を考えると、もうこの同窓会は開かれないだろう。
田舎の、小さな小学校の同級生たち。
それらから離れて、生きていこうと思う。